開催レポート其の壱〜森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』

  こんにちは,シタンです。去る9月2日(日),記念すべき第一回目の「本を読む会」が行われました。課題本は森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』。 8月17日(金)に劇場版アニメが公開されたばかりという話題性もさることながら,予告編を見たときの「これはすごい作品だ」という直感を信じて選びました。結果,大成功だったと思って良いのではないかと思います。謎めいていてせつない物語に,私も驚くほどの深い考察やバリエーション豊かな感想が寄せられました。それを今回,私のフィルターを通してですが,書き留めておきたいと思います。

 簡単に参加状況について記しておきます。主催者を除き,男性6名,女性5名の計11名もの方々に参加していただきました。当初は7名の予定だったのですが,イベントを立てて二日で席が埋まってしまうという思わぬハプニングがあり,急遽定員を増やしました。これも森見作品の力というものでしょうか。本当にありがたい限りですm(_ _)m。


 優しい参加者の方が紅茶を持ってきてくださり,紅茶を飲みながら優雅に『ペンギン・ハイウェイ』を語りました。ありがとうございました!

 では早速どんなことを語ったかを書いていきましょう。まずは,物語の核心に触れないものを書きます。未読の方も安心してご覧ください。

***

登場人物を好きになる

 やはり物語の面白さとして,登場人物のキャラクターを味わうというものがあるのではないでしょうか。『ペンギン・ハイウェイ』では,

  • 「語り手」で妙に理屈っぽくて研究者然とした,おっぱいが好きな小学生アオヤマ君。おっぱいへの偏執は森見作品ではおなじみ笑。この描写で苦情が来ないのか心配です。何度もなんども出てくる。数えようと思ったけどやめました笑 数えた人いたらこっそり教えてください! 
  • 謎めいたお姉さん
  • アオヤマ君の研究仲間でブラックホールなどについて研究しているウチダ君。このウチダ君,「科学の子」のアオヤマ君に対して「哲学の子」としての役割を与えられているように思えるのですが,映画ではまったく別のキャラになってしまっている!!!
  • アオヤマ君の研究仲間でチェスが滅法強いハマモトさん。この作品において「チェス」は様々な意味を持っているように思われます。(物理法則と同様の厳格なルール,ペンギンと同様に白と黒である点,同じく正方形の方眼紙のノートや街並み・限られた行動範囲,『鏡の国のアリス』のイメージ,等々)
  • ガキ大将でスズキ君帝国の皇帝として君臨するスズキ君。スズキ帝国でなく律儀にも「君」をつけるのはなぜか。また,なんで全部カタカナで苗字だけなのか……。
など,個性的なキャラクターが出てくるわけですが,参加者の方が注目したのはアオヤマ君のお父さん。アオヤマ君の研究に適切なアドバイスをしながら暖かく見守る存在です。でもただの「良いお父さん」ではないんです。そのアドバイスが深遠でありながら,非常に的確。問題を解く際の三原則(これはかなり本格的で実際役立つものだと思う笑)や,少し哲学的な台詞など,とても見所が多い。決して子どもの意見を否定せず,考えを押し付けたりもしない。私は,アオヤマ君のお父さんに理想的な教育者を見ましたね。それにしてもなんでも的確にアドバイスするお父さん。お父さんも子どもの頃にアオヤマ君と同じような体験をしたのでしょうか。

 アオヤマ君のお母さんもとても良いお母さんですね。アオヤマ君がある無茶な実験をするときも,頭ごなしに否定するのでなく……。 やはりアオヤマ君のような子の性格形成には,親の影響があるのでしょうか。ちなみに,映画のアオヤマ君のお父さんは,森見さんに似ている……。そして,森見さんの親御さんは,こんな感じだったんでしょうか。謎です。

 ここで,博物館を回る親子の話題が出ました。博物館にいる子どもで,大人顔負けの知識で解説をする子を見たことはないですか?そういうのを笑顔で見守るお父さん(あるいはお母さん),見ていてこちらも笑顔になりますね。余談ですが最近,読書メーターで知り合った方と科博に行って楽しんできました。最高でした!ちょうど夏休みの時期で,進化論について語っている(笑)我々のそばを通り過ぎる子どもたち,たくさんいたなぁ笑 見所のある少年・少女たちよ,大志を抱け!

 つづいて,参加者が注目した登場人物はやはりお姉さん。このレポートの終盤でお姉さんについては深く追究していきますが,物語の核心に触れる前にまずは軽くここで。お姉さんの心理面はどうだったのだろうか,というのが一つ気になるポイントとして挙げられました。お姉さんの体調の波というのはあるものとの関係によって描かれているのですが,実際の気持ちはどうだったのか。これを考えながら読むのもまた楽しいですね。受胎告知の処女マリアとの関連性を指摘した方もいらっしゃいました。……やはり物語の核心に触れそうなので,ここまで。笑

最近研究していることは?

 本作品はアオヤマ君の研究が生き生きと描かれています。そこで,「最近研究していること(してみたいこと)はありますか?」という話題が出ました。子どものときだと,夏休みには「自由研究」がありましたし,野山を駆け回ったりして(野山がない都会の子もいますが)新しいものを発見する喜びがありました。大人になってから,そのようなときめきはめっきりなくなってしまったという方も多いのではないでしょうか。誰かが言っていましたが,「研究者というものは,純粋な心を保ち続けた大きくなった子ども」なのかもしれません。個人的に,SFやファンタジーって,そういう失われた心を呼び覚ましてくれるような気がします。特にジュブナイルSFは最強(『ペンギン・ハイウェイ』は強いて分類すればジュブナイルSFになるのでしょうか?ここでSFはscience fictionではなく,speculative fictionでもなく,すこしふしぎの略……なんてね)。

 その話の流れで突発的に読書メーターの自由研究コミュニティを発足させることになりました笑 こちらです。『女子中学生の小さな大発見』という自由研究に関する本も買って準備万端のはずですが,早速放置中です笑 すみません。

 ところで皆さんは子どもの頃,どんな自由研究しましたか?私はと言いますと,あまりにも「自由」すぎて何をすればいいかわからず毎年苦しみ,最終的に夏休みの終盤で適当に工作的なことをして何かをつくるということをしていました。研究の要素まるでなし。参加者の中には完全に自由ではなく選択制だったという方もいらっしゃいました。絶対その方が良いですよ……。そういえば私の学校では,毎日腕立て伏せをやったらどのくらいボールの飛距離が伸びるか?など面白いことをしていた人もいたことを思い出しました。

 また,研究と共に生き生きと描かれているのが冒険です。子どもの頃どんな冒険をしたか?という話題も盛り上がりました。都会育ちで冒険ができなかった方から,秘密基地をつくったりしてアオヤマ君顔負けの大冒険をした方まで様々でしたが,皆さんはどうですか?私は,東京の郊外育ちなのですが,案外自然はあって,ある程度は冒険しましたね。ところでこの世で一番面白い冒険ってなんだか知っていますか?それはたぶん,読書——精神の冒険です。(異論は認める)

さて,ここからはいよいよ物語の核心に触れていきますよ!既読の方,もしくはネタバレOKの方のみ先にお進みください!!未読の方,ここまで読んでいただきありがとうございました!!ぜひ『ペンギン・ハイウェイ』を読んで,後日つづきを見てみてください!!

***

アオヤマ君が謎を生み出した説

 この物語は一見,アオヤマ君がお姉さんやペンギン,<海>という謎に巻き込まれたようにみえますが,そうではないのではないか?という面白い意見が出ました。むしろアオヤマ君が謎を生み出したのではないか?というのです。根拠は次のようなものがあります。

  • アオヤマ君は引っ越して来た。(ついでに,ウチダ君もハマモトさんも!)
  • 感情を読むのが苦手。主観と客観にずれがある。
  • 一見,お姉さんやペンギンが<海>から離れられないように見えるが,実はそのとき両方とも「アオヤマ君」がその場にいる。アオヤマ君が出られないのではないか???
逆説的で面白い説ですね。

ウチダ仮説の考察

 アオヤマ君が「科学の子」(お姉さんがそう呼んでいる)であるのに対してウチダ君が「哲学の子」と言える,ということは既に述べました(これに関しては『ペンギン・ハイウェイ 公式読本』p. 33でも指摘されています)。 それを象徴する描写がやはり死に対するウチダ君の仮説,ウチダ仮説でしょう。(角川文庫版『ペンギン・ハイウェイ』pp. 287-290)

 ウチダ仮説は死後の世界に関する仮説なのですが,一言で言えば,

  • ぼくらは誰も死なない
ということになります。つまり死後の世界は存在しない。極端にいえば,「死」というものは幻である……。

 明らかに直感に反する仮説です。確かに人は死ぬはずです。……まずウチダ君は次のように説明します。

  • 他人が死ぬことと自分が死ぬことは異なる。他人が死ぬとき,自分は生きていて,それを外から見ている。だが,自分が死ぬとき,世界はそこで終わる。
これは一種の哲学的な仮説になっていると思います(哲学に関しては門外漢なので間違っているかもしれません。詳しくは語らないでおく)。でもまあこのくらいなら考えたことがあるのでは?ここで終わらせないのが森見氏のすごいところ。その先がさらに面白い。このウチダ仮説に対して,科学の子(ニアリーイコール唯物論者であり,懐疑的精神の持ち主)であるアオヤマ君は,すかさず反論します。
  • でも他人にとって(あるいは客観的事実として)世界はまだあるよね?
完全に同意。しかしウチダ君のすごいところはこの反論に対してとんでもない説を持ち出すところにあります。曰く,
  • 世界は分岐する。ぼくが死ぬ世界と,死なない世界に。そして,ぼくは常に「ぼくが死なない世界」へと進んでいく。(言い換えれば,「ぼくが死ぬ」世界はぼくにとって必ず存在しない)
正直に言いましてこの発想はなかったです。初読時は度肝を抜かれました。そして何がすごいってね,この仮説,物語にとってはあってもなくても同じ!!!という点にあると思うんですよ。それをわざわざ入れてくる森見先生にひれ伏すしかないのです。

 さて。読書会ではこの「ウチダ仮説」に関する議論が勃発しました。ウチダ仮説が正しいならば,我々は永遠に生き続けるのだろうか?と。つまり寿命は無限なのか? これに関してはいろいろと意見が出ましたが,それを書くには長文になりすぎます。謎のままにしておきましょう。皆さんはどう思われますか?

***

 ウチダ仮説に関しては次のような問いかけも出ました。「子どもの時こんなことを考えたことありますか?」。出た意見は次のようなもの。

  • ない。野山を駆け回ってました。
  • アオヤマ君たちのように,語り合う人はいなかったけれど,一人のときには考えることもあった。
  • 小学校の授業でタイムパラドックスに関して先生が話しており,考えたことがあった。
やはり一人だったり,機会さえ与えてあげれば子どもというものは果てしない世界の謎を追究するのではないでしょうか。 自分だけが生きていて,他人はすべて生きていないロボットのようなもの……ということを考えたことがある方や,その逆で,他人だけが生きていて,自分というものは幻である……ということを考えたことがある方などがいらっしゃいました。 しかしアオヤマ君たちは良い仲間がいて本当に羨ましいなぁ。

お姉さんは何者か?

 さぁ,いよいよきました。これですね〜。やはりお姉さんの魅惑には男女関係なく抗しがたいようで(?),このテーマの考察が最も多かったです。早速みていきましょう。

タイムトラベル仮説:お姉さん = 未来人

 まずはちょっとSFチックで素敵な仮説を。ずばり「お姉さんは未来から来た!」説。<海>の歪みは時空の歪みだと考えられて,その歪みを正すというのがアオヤマ君の使命だったわけですね。タイムトラベルといえばタイムパラドックスがつきもの。たとえばエヴェレットの多世界解釈はSFで多用されてきましたが,『ペンギン・ハイウェイ』もその中の一つなのかもしれません。前述のウチダ仮説は,まさに「世界が分岐する」という点で多世界解釈に近く,この説を示唆しているようにも思われます。 また,スズキ君が時間旅行を経験したというアオヤマ君の仮説はこれにぴったり符合します。

 ではなぜお姉さんは過去に飛んだのでしょうか(あるいは飛ばされたのでしょうか)?未来で何かがあったのでしょうか。アオヤマ君に何かを託すため?いろいろと考えられて,面白いです。また,この説だとアオヤマ君は未来でお姉さんに再会できることになります。お姉さんがどのくらい未来から来たかにもよりますが,もしかして,アオヤマ君がお姉さんくらいの歳になったときに再会して……。あるいは,将来アオヤマ君がタイムマシンを発明して,お姉さんに会いにいくのではないか……などと妄想が捗ります。とても素敵な説でした。やっぱりSFってロマンチックだなあ。いつかタイムトラベルものを課題本にしたい。

創造神仮説:お姉さん = 神様の使者

 これは,物語の文章を素直に信じた場合の説。そのまんま<海>は「神様の失敗」であり,それでできてしまったあってはならない「世界の穴」をふさぐのがアオヤマ君たちがやったこと。とすれば,お姉さんは神様の使者,あるいは神様そのものではないかと考えられます。ところで「神様」や「教会」という言葉は繰り返し出て来て,本作品の一つのモチーフになっています。

 ここで一つ疑問が提示されました。なぜお姉さんは人間の標準的な姿ではなく,魅力的なお姉さんとして世界に現れたのか?たしかに,神様であれば平均的な姿で現れると考えるのが自然です。この謎を解く鍵はやはりお姉さんの家でお姉さんを眺める場面。アオヤマ君は,お姉さんの顔を見ているとなぜ自分が嬉しい気持ちになるのか,そしてなぜそのようにお姉さんの顔が遺伝子によって完璧に作られているのか,と考えます。ということはつまり,お姉さんの姿は,アオヤマ君に好まれるように神様によって完璧に作られたのではないでしょうか?そして,アオヤマ君の助けを借りて,世界の穴をふさいだ。

 アオヤマ君はこのことを悟ってしまったのでしょうか?だすとれば再会することはもはや望めませんが,それでもアオヤマ君は「信念」としてお姉さんにまた会えることを信じるのでありました。

カンブリア仮説:お姉さん = 海,母性の象徴

 本作品(あるいは森見作品一般に言えることだが)では特定の言葉や表現,イメージが繰り返し現れることが特徴の一つに挙げられると思います。本作品の中で様々なモチーフがありますが,海のイメージと共にここで注目したいのは「カンブリア」という繰り返し出てくる言葉です。カンブリア紀は動物の多様性が一気に増加した可能性があると考えられている地質時代区分で,バージェス動物群の発見およびスティーブン・ジェイ・グールドの名著『ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語』 (ハヤカワ文庫NF)で一躍有名になった時代です。ここからイメージされることは,生命の起源,そしてわれわれはなぜ生まれたか?(同様の問いかけをお姉さんもしている)という果てしない謎。この謎は作品全体にわたって表現されているように思われます。

 このイメージにぴったり合うのが,お姉さん = 母性の象徴という説。一方で,ペンギンはアオヤマ君,あるいは子どもを示していると考えられます。アオヤマ君は,「結婚してほしいと言ってくれる女の人もたくさんいるかもしれない」と書いているように基本的には受け身で,自分から異性にアタックするという意識は見えません。しかしながらお姉さんに対してだけは積極的に関係を持とうとしているのです。ここにお姉さん(= 母性)というものの特別さというのが読み取れます。子どもは多かれ少なかれ本質的にエディプスコンプレックスを持っている言われますが,そこからの脱却(ここでハマモトさんとお姉さんの対立・対比が効いている)が描かれているともいえます。

 最後にお姉さんはいなくなってしまいます。これによってアオヤマ君は独立し,大人に一歩近づいた,ということができるのではないでしょうか。この物語は,このようにアオヤマ君の成長物語として読むことができます。「おとなげない」というなんども出てくる言葉や,子どもっぽいけど論理的な文体,恋に鈍感な描写など,子どもと大人の境界を描いているようにも思います。アオヤマ君の前に現れる謎を解く過程,謎を解くことの哀しみや,論理(<海>を壊すべきである)と感情(お姉さんと別れたくない)の間のジレンマ,仮説ではなく信念を持つということ,乳歯を抜くという体の痛みを伴う「イニシエーション」,そして「人を好きになるということ」の認識が,成長過程として鮮やかに描かれているのです。個人的にはやはり,一貫して妙に論理的な文体で綴っていたアオヤマ君が最後の数ページで感情的になるところが大好きです。

インフィニティ仮説:お姉さん = 並行世界を渡り歩く者

 ここでついにホワイトボードが活用されました笑 まずは次の図をご覧ください。

『ペンギン・ハイウェイ』の世界はこのようにインフィニティ(∞)のように描くことができる。二つの並行世界(AとB)があり,その境界線が<海>。そしてお姉さんは,そのAとBの世界を渡り歩く存在なのではないか,という仮説です。やはり重要なのは∞の形で,出発点と到達点が同じところにある,つまり回帰しているような形になっているところではないでしょうか。というのも数あるモチーフの中で「回帰」という概念はかなり強調されているように思えるのです。たとえば,“本当の本当に遠くまでいくと,もといた場所に帰るものなのよ」”(p. 335)。これはかなり深い。生と死の問題も頭に浮かんで来ますね。輪廻転生とか。生命は海から生まれ,海で死んでゆく……。

 仮にアオヤマ君がもといた世界をA(ホーム・ワールド),もう一つの世界をB(アナザー・ワールド)としましょう。このホーム・ワールドとアナザー・ワールドはどのような関係にあるのでしょう。スズキ君は時間旅行を経験しましたが,このとき,「自分自身」を見たと言っています。ということは,アナザー・ワールドにおいてスズキ君が二人いたことになります。各世界においてスズキ君が存在し,同じ時間軸の上で進行している,ということになるのでしょうか。今この瞬間,別の世界でもう一人のあなたが,何か別のことをしているかもしれませんよ……。また,バートランド・ラッセルが提唱した世界五分前仮説なども出てきて深い話となりました。あとから調べたのですが世界五分前仮説は懐疑主義的な思考実験のようですね。つまり,世界が五分前に作られた(我々は五分前以上の記憶を埋め込まれた)としてもそれを証明・反証することはできない。一般化して言えば,過去の出来事が実際に起こったということは誰にもわからないということ。似たような話をどこかで読んだなぁと思ったのですが,多分,京極夏彦『姑獲鳥の夏』だと思います。

閑話休題。さらに,お姉さんは次のようなものであるという指摘も同時になされました。

  • 未完成の母性
  • かぐや姫
うん,この説に関してはとっても盛り上がりましたね。

お姉さんの葛藤仮説:お姉さん = 異なる宇宙からの侵略者

 ホワイトボード活用第二弾。まずは次の図をご覧ください。

お姉さんのもといた宇宙を“負の宇宙”、アオヤマ君の宇宙を“正の宇宙”とします。お姉さんは侵略目的で<海>(ワームホール)を通って正の宇宙にやってきましたが,ここで予想外のことが起こりました。それは記憶の喪失と虚偽の記憶の付加(これも世界五分前仮説を彷彿とさせます)。お姉さんは負の宇宙での記憶がなくなってしまい,正の宇宙で生きているという“海辺の街の記憶”が付加されたのです。

 正の宇宙でアオヤマ君のような見所のある少年と出会うことによって正の宇宙が好きになってしまったお姉さんは侵略をやめようと試みます(お姉さんは侵略目的という記憶はもうなく,無意識下で行った)。そのために生み出されたもの——それこそがペンギンなのです。ペンギンは負の宇宙につながる門(<海>)を破壊し,つまり侵略を阻止する。ところが負の宇宙の住民であるお姉さんは,ペンギンを生成すると元気がなくなってしまうのです(自分がやってきた負の宇宙とのつながりを壊そうとしてしまうため)。

 一方で負の宇宙にはジャバウォックという存在がおり,ジャバウォックを生成することによってお姉さんは元気を取り戻せます。物語の後半,ジャバウォックを作りすぎて海が拡大し正の宇宙の侵略が広がっていくところで,お姉さんは自分が人間ではないことに気づいたのではないでしょうか(このあたりでお姉さんは自分が負の宇宙からやってきた侵略者なのではと悟る)。

 自分の使命を犠牲にしてまで,正の宇宙を守るためにお姉さんはペンギンを大量生成し,自分は負の宇宙へと帰っていきました。この物語はアオヤマ君の物語であると同時に,お姉さんの葛藤の物語でもあるのです。<海>が拡大縮小するのはお姉さんの心の揺れを描いている。侵略者としてやってきたのに,好きになってしまったこの世界を守りたい。お姉さん視点で見るこの奇抜なアイデア,脱帽です。

 さてこの説がどこから生まれたかといえば,なんときちんと根拠があります。角川文庫版のp. 256に,こんな場面があります。
「あれ(<海>)は宇宙船なのよ,実は」お姉さんは言った。「私はあれに乗って地球に来たのだ。諸君を支配するために」ぼくらはあんまり驚いたので,シンと静かになってしまった。「ホントですか?」とウチダ君が言った。「ウソよ」お姉さんはそういうウソをまじめな顔をしていうのだから,困ってしまうのである。
この説の提唱者は,この発言を「真実」と仮定して仮説を構築した,とおっしゃっていました。実に面白い!!!物語における発言の真偽というのは確かに保証されているわけではありません(推理小説だと,暗黙の前提として真とされますが)。そこに着目したというのはすごいですね。ちなみに,近年の推理小説では,発言者が本当のことをいっているかどうか(主観的にウソかホントか)と,客観的に真か偽か,を見分けることができるという能力を持つ主人公が活躍するシリーズがでています。こちらです。この説をきいて,これをふとを思い出しました。

 この説でも,アオヤマ君は負の宇宙に行く方法を解明することでお姉さんに再会できることになります。走れ,アオヤマ君!!

***

開催後

 読書会が終わった後は,ほぼ全員が二次会に行き,美味しいごはんを食べました(これだけ多いのでしたらやはり事前に計画しておくべきでした。反省)。さらにその後は,せっかく新宿ということもあり,紀伊国屋書店に行きました。ちなみにこの本屋は僕のお気に入り。大型でありながら個性もあり,かつ配置が良いという奇跡。週に一回くらいの頻度で出没します。おすすめの本をたくさん紹介し合うことができてとても楽しかったです!またやりましょう。今度は本屋巡りもいいですね。

おわりに

 参加者の皆様,ほんとうにありがとうございました。またお会いしましょう。ここまでお読みくださいました皆様にも,深く御礼申し上げます。皆様にお会いできることを楽しみにしております。

——終幕

戻る

コメント

このブログの人気の投稿

アンケート

第一回開催レポート,第二回・第三回募集開始!

このブログについて